Quantcast
Channel: 品川徹の役者日記
Viewing all 105 articles
Browse latest View live

野のなななのか」の感想。友人の城さんが書いてくださいました。

$
0
0
5月22日。以下は城さんの感想です。品川。
 
今日は20日だから、映画「野のなななのか」を17日に梅田ブルクで観てから3日経っているわけだが、今でも私の耳の奥にパスカルズの演奏する主題歌のリフレインが何度も聞こえてきて、緑にむせかえる新緑の野や、花の下や、真っ白な雪に取り囲まれた小路を演奏しながら行列する楽隊の様子と、最後列でハーモニカを吹きながらついて行く、死者である筈の大野國役の伊藤孝雄(敬称略、以下同様)の姿が目に浮かぶ。

 自分の頭の中では無論理解していたのだが、私の友人である、主演俳優品川 徹と電話で話していて、伊藤孝雄は死者のみを演じていたことを改めて確認した。大野の生存時代は若手俳優細山田人によって演じられている。つまり、伊藤は死者としてだけ現れ、品川は生者としても死者としても映画の中に現れて来ていることになる。
 大林監督により表現されているように、ここでは死者と生者の間に、はっきりした線引きは無い。

 『人』と単純に記して良いのか否か、分からぬが、現世に存在(あるいは見えている)人は生きているのか、または死んでいるのか(彼の世にいるのか、此の世を彷徨っているのか?)はっきりしないことになる。

 「人」というものはまた、その人自身の本性如何に拘わらず、戦争や死刑制度によって「人殺し」にもなるし、またそれらの人為的な制約によって「被殺人者」にも成り得る。

 常々、私は此の世に「絶対的なもの」というのは存在しないのでは無いか?と考えている。私にとって、絶対的に近いものと言えば、それは男と女の熱い血の交流を知覚する刹那、あるいは渇きを癒す水、飢えを凌ぐ食糧を摂取する瞬間くらいしか思い浮かばない。

 大林監督が本当は何を意図しているのか?それは私には分からない。しかし、またそれは分かる必要も無いのだろう。芸術作品とは元々そういうものだ。創り手の意図を受け手である鑑賞者がどう感じようと、どう取ろうと、それは、そのサイドの問題であって、創り手は、受け手の受け取り方が多様であれば、あるほど楽しいだろうし、また満足を覚えることであろう。

 私は監督より5歳年長の1933年生まれだから、直接戦場に行ったことこそ無いが、戦争は身をもって体験している。映画の中で、レコードに記録されていた米国機グラマンに、私は縁故疎開先であった紀南の小さな村の海岸で、機銃掃射された経験もある。勿論、国民学校(今の小学校)5年生くらいの非戦闘員であったことは紛れもない事実である。戦争とはそんなものだ。国の安全のためとか、何とか理屈をつけてみても、個人レベルでは人と人との単なる殺し合いでしかない(しかも、殺傷しようとする相手に対し特定の怨みが存在する訳でも無いのに...である)。

 人類には、そんな理不尽な戦争は絶対に止めて欲しい、人の力では制御不能な原子力エネルギーの利用は再考すべきだ、賢しげな人智を超える大自然の力には率直に畏怖を自覚し、謙虚な心を失うこと無く、大災害で傷つき、蒙った悲しみと損害を、小さな思いと努力の積み重ねで何とか回復し、復興させて行こうとする人々に心から寄り添って協力する、その行動を持続せねばならぬ、そして人の生き死というものは決定的でも、絶対的でも無い、人も自然もあらゆる生き物はめぐり巡って現れては消え、消えては現れる幻のように不確かなものでしか無い、自然と人の心の調和する生き様(よう)はパスカルズの演奏する主題歌「野のなななのか」に象徴されるように人々の心の中に繰り返して現れ、消えて行く、そんな監督の思いが一杯に詰まった映画である、と受け止めることが出来る。

 そのような作品の主要な、ニュースキャスターとも、また死者の思いを伝えるイタコとも呼べる、鈴木光男役の品川 徹は将に適役だ。ここで、無用な誤解を避ける意味で、更に説明を加えるなら、「キャスター」の言葉は、ここでは単に客観的な立場でニュースを伝える人という意味では無い。観客の知らない鈴木光男という男を「形のある存在として表出する役割を果たす人」くらいの意味だ。この文脈で、その存在感を表現できる俳優は、私の知る限りでは彼を置いて他に思い付かない。品川 徹にとって代表作となるであろう作品に違いない。

 同様に、大林監督にとっても、己の集大成であるとの思いがひときわ強いことは間違い無かろう。

 この映画の制作に際しては、北海道芦別市の物心両面に亘る支援が並々ならぬものであった、と聞いている。その故もあってか、作品中に芦別市の現在、過去におよぶ有様を丁寧に紹介する目的で、少なからぬ時間が費やされている。これが作品の稠密度を高めるのに、負に作用する、という見解もあるようだ。その意見に全く賛成できぬ、と言うわけでは無いが、私は映画を産み出すために、少なからぬ出費が必須である以上、その経費を確保するための手段や現実を率直に認めるべきだ、と考える。たとえ、どんなに優れた着想やテーマが有ったとしても、それが作品として実現しない限り、観客はその映画を観ることが叶わないのだから。

 また、芦別市の過去、現在を紹介することによって日本の一地方都市が、国の歴史と密接に関わり合って、その栄枯盛衰の流れを経て行く様子が象徴的に描かれていると考える。将に80歳を超えた私が体験した現代史そのものが、そこに表出されているので、メインやサブのテーマが錯綜することによって、作品の稠密度が薄められる反面、却って混沌とした現世を象徴的に表現している、とも思える。
 整理され切ったものでは無く、混沌としたカオスこそが、この映画の、もう一つのテーマと考えてもよいのでは無いか。https://www.youtube.com/channel/UCmOtb2G-L4AqXramteqr04w

 いずれにせよ、三時間近くに亘って私を現実の世界から連れ出し、楽しい時間を与えると共に常々私の頭にある思いを、形あるものとして表出してくれた大林監督、品川さんを初めとする俳優諸氏、スタッフ全ての皆さんに心からの共感と感謝の意を伝えたい。(2014年5月20日城 久道記)

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
城 洋司(久道)
mailto:buraijoh@gmail.com<buraijoh@gmail.com>
URL: http://www.my.zaq.jp/joh/
ブログ 「昭和一桁の 老人と海」:http://oldman-and-sea.blogspot.com/
My favorite things! ぶらいおんの詞藻アンソロジー http://buraijoh.jimdo.com/
ぶらいおんのTwitter:https://twitter.com/buraijoh
生活を豊かにする「和歌浦公民館パソコン教室」: http://www.freeml.com/wakaurapc/
-・-・-・-

「野のなななのか」の感想田中さんが書いてくださいました

$
0
0
5月25日。以下の感想は田中さんのものです。
 
★先週の土曜日午後に有楽町に見に行きました。ちょうど品川さんが通りかかられたのですが人ごみにまぎれてご挨拶ができませんでした。

まだ品川さんの中原中也の詩の朗読が耳に残っています。
いつも思うのですが、品川さんはただそこにいるだけで何も話さなくても動作をしなくても人生を雄弁に語っていらっしゃいますよね。
ふとずっと以前に拝見した「タンゴ冬の終わりに」の舞台を思い出しました。あの時も確か常盤貴子さんとご一緒でしたね。
あの舞台で品川さんは何も語らずにいろんな感情を表現されていましたが、今回はただ淡々と読む詩や日常の会話でそれまでの人生の重みを語っていらっしゃいました。
まるで舞台を見ているような演出の映画で、若い時代の3人の間に先生がいらっしゃるシーンは、やはりあそこには先生がいてあの場面が成立するのだと思いました。(品川注・光男の語りのシーンかな。あそこは光男が主ですね)
終盤の伊藤孝雄さんと2人のシーンで「私はお前を許さない。」と言われた時の先生の何とも言えない表情が素晴らしかったです。それは時間が止まったときから聞かなくてはいけない言葉だったのでしょう。言われてやっと先生の中で止まっていた時間が溶け出したようでした。(品川注・あのシーンの二人はすでに死んでいるのですね。<許さない>とは言っているが二人は和解したと思うのです)
このシーンでも「タンゴ冬の終わりに」を思い出しました。あの時は堤真一さんの精神が壊れてしまうのが終点でしたが、今回は伊藤孝雄さんとのシーンがそのように思いました。親友との再会を恐れそして待っていた?そしてやっと今までの呪縛(?)から解放され、自由になる?
そう感じました。
ただそれまで生きてきた言葉で語れない重みを先生が体で表現されていて素晴らしかったです。

美しい自然の風景と悲惨な出来事の対比が切なく、でも生きることに希望が持てるような映画でした。 

いい映画をありがとうございました。これからもいい作品を作ってください。ご活躍をお祈りしています。 
                      田中 美穂
 
月26日。映画「野のなななのか」のお知らせをいろいろとやっているのだが、ブロ        グの訪問者の方はあまり観てくれる方が居ないみたいだね。観れば何か       書いてくれるはずだから
                或いは面白くなかった。難しくてワカラなったとか。確かにこの映画は
        複雑であり枝葉の部分が多岐にわたっている作品ですね。
 
 

朝日新聞「野のなななのか」の記事

$
0
0
★「野のなななのか」ロードショウ。6月13日(金)までとなりました。
  有楽町スバル座。
 
 

アートとして何でも自由 「野のなななのか」大林宣彦監督、2作目エッセー映画

2014年5月23日16時30分
!
!
 林宣彦監督の新作「野のなななのか」が公開中だ。北海道芦別市を舞台に、死んだ老医師を巡る家族の葛藤や戦争末期の悲話が語られる。2011年の前作「この空の花 長岡花火物語」で観客を驚かせた自在な語り口は、本作でも健在。「エッセーとして撮った。映画は自由な冒険」と語る。
 「なななのか」とは四十九日(七×七日)の意。92歳で死んだ元病院長・光男(品川徹)の葬式に、家族が集まる。そこへ不意に現れては消える謎の女・信子(常盤貴子)。やがて、彼女が光男の孫たちの母親代わりを務めていた過去や、光男との関係、そして、戦争末期にソ連軍が侵攻した樺太で光男が体験した悲劇が、明らかになる。
 回想と現在が交じり合い、生者と死者が同居し、新緑と雪景色が混在する。東日本大震災の発生時刻を物語にちりばめ、会話は戦争、炭鉱、町おこし、震災、原発へ飛ぶ。役者の口を借りた随想かドキュメンタリーのよう。前作よりはドラマの軸がはっきりしているが、奔放で融通無碍(むげ)な展開の2時間51分だ。
 「文字を使った表現だって小説、論文、日記、エッセーといろいろある。一つの物語にまとまった劇映画か、客観的なドキュメンタリーか、なんて枠は商業主義が勝手にはめたもの。アートとしてやれば、何でも自由です」と大林。
 作風の変化は、自身の大病と震災がきっかけという。「2010年、心臓発作で一度死んでよみがえった。そして翌年の3・11。もう従来の劇映画は撮れないと思った。1938年生まれの僕の中で、戦争、原爆、震災、原発、復興、すべてがつながった。それで、意識の流れをそのまま映像にしたエッセームービー2本が生まれたんです」
 反戦の思いと人間賛歌を込めた本作と「この空の花」に、「シネマゲルニカ」と名を付けた。
 「ピカソがリアリズムを超えた子供のような絵で『ゲルニカ』を描いたおかげで、今も我々に戦争の残酷さを訴え続ける作品になった。僕のこの2本も、リアリズムを超えた、横顔に目が二つある映画だと思ってください」(小原篤

映画のロケと何もない日々

$
0
0
6月15日。12日(木)から三泊の名古屋ロケから今日帰って来ました。三日目の今日は霊柩車の棺を
       入れるところに初めて入って撮りましたね。なかなかそのようなところには普通は入れない
       体験をさせて頂きました。嬉しい体験だね。
              
       ★何も無いというのは映画やドラマの撮影が無いということで、100%何も無いわけではない
         台詞を覚えたり、役についてのプランを考えたり,シーンでの演じ方を考えたり
         と、でもカメラの前に立つ緊張から一応解放されることは、精神的な休養になる。これは
         結構だいじなことなのだろうね。

関東、名古屋 ロケの日々

$
0
0
6月29日。一週間の名古屋での映画ロケクランクアップして帰って来ました。疲れたな。
       4月28日のクランクインから約二か月間。撮休が入ったから実質30日くらいのロケかな。
       映画のロケはやはり良いものだ。共演者の気心もだんだん解ってきて、お互いにたとえ黙っていても
       得難い友達のようになれる気がする。疲れたと言ってもこの映画のロケで疲れたわけではない。
       クランクインする前にやった或るドラマで疲れてそのまま今度の映画に突入したのだった。
        
        ★27日は出番のない日で「チョコレートドーナツ」を観る。いろいろ騒がれている映画ですけれど、
        う~ん。良い作品だとは思うけれど、私好みの映画ではないのでした。
 
                 最近読んだ本。谷川俊太郎「詩を書くということ」ー日常と宇宙とー。
         この本を買った時、ちょうど友達Kさんとゴールデン街のとある店へ。店に入ってからさん
         携帯で誰かと話していた。しばらくして携帯を僕に渡して「谷川さんです」と
         僕は谷川さんと話す破目に、慌てましたね。谷川さん優しい声でした。
                   そう言えば甥の結婚式に谷川さんの結婚についての面白い詩を(題は忘れた)
         お借りして朗読したことがあったな。
 
7月2日。   映画のポスター用スチール撮影とメイキングビデオのインタビューで六本木のとある
         スタジオまで。
 
 
 
 

7月は仕事のない月かな

$
0
0
7月6日。昨日テアトル新宿で「革命の子どもたち」を観る60年~70年にかけて世界革命を目指した日本赤軍の
        リーダーだった重信房子(服役中)。ドイツ赤軍の創始者のウルリケ・マインホフ(監獄で自殺)。二人         の女性のそれぞれの娘がテロリストの子どもとして生きた二人(ジャーナリスト)が過酷な情況の中で         生きた母と自分を語る。当時の映像まじえていて。 

野のなななのか」高崎で

$
0
0
7月18日。映画「野のなななのか」大林宣彦監督。高崎の{シネマテークたかさきで」で上映されます。
       七月26日~八月8日まで。
       ★大林宣彦監督作品・品川徹主演『野のなななのか』7月26日から8月8日まで「シネマテークたかさき」で http:// takasak i-cc.jp /free/n ext高崎映画祭をたちあげた茂木正男が命をかけてつくってくれた映画館。高崎では、おかげで最先端の映画をいつもみることができます。感謝
 
★アップリンク渋谷でも七月中「野のなななのか」上映中。tel 03-6825-5503
 

映画 大いなる沈黙へ

$
0
0
イメージ 1
 
7月19日岩波ホール。 映画「大いなる沈黙へ」

秋田ロケ

$
0
0
イメージ 1
 
★ドラママのロケで秋田に行って来ました。秋田空港で。
 
★8月21日。 田舎の旭川の姉が(86歳)膵臓がんで亡くなったと兄から電話。今年も「なななのか」の旭川
         の舞台挨拶に行った時姉の娘たちと記念写真を撮って元気だったのに。でもあの時すでに癌は
         膵臓を蝕んでいたのだろうね。NHKのドラマで沢山の台詞を抱えている私は顔を見に行くこと
         は出来ない。無念の気持ち姉に伝わるのだろうか。

長崎ロケ

$
0
0
★長崎から帰りました。
イメージ 1
昭和20年8月9日午前11時2分この近くに原爆が投下され地表は摂氏4000度の熱にさらされた。 

続長崎ロケ。

$
0
0
主演の鈴木京香さん。待ちの間に爆心地公園にて。
イメージ 1

10月2日。二度目の長崎から帰ってまいりました。
また6日から砧で撮影が始まります。

朝日新聞「野のなななのか」の記事

$
0
0
★「野のなななのか」ロードショウ。6月13日(金)までとなりました。
  有楽町スバル座。
 
上野へ、「バルテュス展」を観に行く。少女の生命力に魅せられた一人の画家 を思う。
       デフォルメされた少女たちの姿や顔は必ずしも美しさとかいうのとは違う美のカタチ,イ        ロ、筆さばき。
       こよなく猫ちゃんを愛した画家。勿論風景画もあるが、、、。
              表現とは?、についての諸諸を考えさせられる。
 
6月15日夜。何故かいろいろあって疲れたな。昨夜は友人二人と久しぶりに会って
         「なななのかに」ついていろいろ話してもらって、楽しかった。
         飲み放題の店で僕は、カリフォルニヤワインばかり飲んでいてたが、そんなに飲め         るもんじゃない。でも友人のお二人が愉快で感想も的を射た感想で楽しかった。
         その後懐かしのゴールデン街の「ガルガンチュア」でも初対面の方と楽しい会話
         ドイツ人の素敵な初老の男性の方に「ピナバウシュ」の舞踏団の写真を頂いたりし          て、思いがけないプレゼントになった。早速部屋に飾ろうと、でも狭い部屋の何処に
         飾ろうかと思ってあれこれしているうちに深夜になった。
         明日は映画のロケで池袋へ。台詞は一言も喋らないが。どう存在するかが問題         だ。
                
        ★僕は今、ふと考える。光男が一番頼りにして愛していたのは孫娘のカンナ
          だったのかなと。健気なカンナの幸せを願わずにはいられないと。 
 
6月11日。近くにジムが出来て、ちょいと暇があると歩いて7分。仕事が無いとすぐ行ける。
       「野のなななのか」も13日で終映。友人のメールでは今日もたくさんお客が入っていた       そうです。楽日には観に行きたかったが、ロケとかっちんこしてしまった 。 
 

アートとして何でも自由 「野のなななのか」大林宣彦監督、2作目エッセー映画

2014年5月23日16時30分
!
!
 林宣彦監督の新作「野のなななのか」が公開中だ。北海道芦別市を舞台に、死んだ老医師を巡る家族の葛藤や戦争末期の悲話が語られる。2011年の前作「この空の花 長岡花火物語」で観客を驚かせた自在な語り口は、本作でも健在。「エッセーとして撮った。映画は自由な冒険」と語る。
 「なななのか」とは四十九日(七×七日)の意。92歳で死んだ元病院長・光男(品川徹)の葬式に、家族が集まる。そこへ不意に現れては消える謎の女・信子(常盤貴子)。やがて、彼女が光男の孫たちの母親代わりを務めていた過去や、光男との関係、そして、戦争末期にソ連軍が侵攻した樺太で光男が体験した悲劇が、明らかになる。
 回想と現在が交じり合い、生者と死者が同居し、新緑と雪景色が混在する。東日本大震災の発生時刻を物語にちりばめ、会話は戦争、炭鉱、町おこし、震災、原発へ飛ぶ。役者の口を借りた随想かドキュメンタリーのよう。前作よりはドラマの軸がはっきりしているが、奔放で融通無碍(むげ)な展開の2時間51分だ。
 「文字を使った表現だって小説、論文、日記、エッセーといろいろある。一つの物語にまとまった劇映画か、客観的なドキュメンタリーか、なんて枠は商業主義が勝手にはめたもの。アートとしてやれば、何でも自由です」と大林。
 作風の変化は、自身の大病と震災がきっかけという。「2010年、心臓発作で一度死んでよみがえった。そして翌年の3・11。もう従来の劇映画は撮れないと思った。1938年生まれの僕の中で、戦争、原爆、震災、原発、復興、すべてがつながった。それで、意識の流れをそのまま映像にしたエッセームービー2本が生まれたんです」
 反戦の思いと人間賛歌を込めた本作と「この空の花」に、「シネマゲルニカ」と名を付けた。
 「ピカソがリアリズムを超えた子供のような絵で『ゲルニカ』を描いたおかげで、今も我々に戦争の残酷さを訴え続ける作品になった。僕のこの2本も、リアリズムを超えた、横顔に目が二つある映画だと思ってください」(小原篤

映画のロケと何もない日々

$
0
0
6月15日。12日(木)から三泊の名古屋ロケから今日帰って来ました。三日目の今日は霊柩車の棺を
       入れるところに初めて入って撮りましたね。なかなかそのようなところには普通は入れない
       体験をさせて頂きました。嬉しい体験だね。
              
       ★何も無いというのは映画やドラマの撮影が無いということで、100%何も無いわけではない
         台詞を覚えたり、役についてのプランを考えたり,シーンでの演じ方を考えたり
         と、でもカメラの前に立つ緊張から一応解放されることは、精神的な休養になる。これは
         結構だいじなことなのだろうね。
 
6月21日。明日から1週間ほどの名古屋ロケちょっと長いロケです。

関東、名古屋 ロケの日々

$
0
0
6月29日。一週間の名古屋での映画ロケクランクアップして帰って来ました。疲れたな。
       4月28日のクランクインから約二か月間。撮休が入ったから実質30日くらいのロケかな。
       映画のロケはやはり良いものだ。共演者の気心もだんだん解ってきて、お互いにたとえ黙っていても
       得難い友達のようになれる気がする。疲れたと言ってもこの映画のロケで疲れたわけではない。
       クランクインする前にやった或るドラマで疲れてそのまま今度の映画に突入したのだった。
        
        ★27日は出番のない日で「チョコレートドーナツ」を観る。いろいろ騒がれている映画ですけれど、
        う~ん。良い作品だとは思うけれど、私好みの映画ではないのでした。
 
                 最近読んだ本。谷川俊太郎「詩を書くということ」ー日常と宇宙とー。
         この本を買った時、ちょうど友達Kさんとゴールデン街のとある店へ。店に入ってからさん
         携帯で誰かと話していた。しばらくして携帯を僕に渡して「谷川さんです」と
         僕は谷川さんと話す破目に、慌てましたね。谷川さん優しい声でした。
                   そう言えば甥の結婚式に谷川さんの結婚についての面白い詩を(題は忘れた)
         お借りして朗読したことがあったな。
 
7月2日。   映画のポスター用スチール撮影とメイキングビデオのインタビューで六本木のとある
         スタジオまで。
 
 
 
 

7月は仕事のない月かな

$
0
0
イメージ 1
 
7月6日。昨日テアトル新宿で「革命の子どもたち」を観る60年~70年にかけて世界革命を目指した日本赤軍
       のリーダーだった重信房子(服役中)。ドイツ赤軍の創始者のウルリケ・マインホフ(監獄で自殺)。
       二人の女性のそれぞれの娘がテロリストの子どもとして生きた二人(ジャーナリスト)が過酷な情況の
       中で生きた母と自分を語る。当時の(1968年)の貴重な映像まじえて、また二人に接した人たちの
       コメントも加えてテロりストと呼ばれた母親の素顔とその娘たちの生き方を勇気を象徴的に描いてい         る。(パンフレットより引用)。亡くなった若松孝二監督が公開を熱望したそうである。
       
       ★上映のあと重信メイさんと足立正生さんのトークがあった。パンフレットを買って行列して私は
          ミーハーになって重信メイさんのサインを頂き握手した時、メイさんの笑顔に出合った。
         
 
★ 7月8日。 テアトル新宿で「革命と子どもたち」二回目を観る初回は体調悪く睡魔に襲われたので。
          はしごして「あいときぼうのまち」も観た。
          
 
★ 7月11日。ロケに入る前から気になっていた左足のつけ根というか、左下腹部のじくじくとする痛み
         抗生剤で治まったのだが、念のためにCTで検査した。来週同じ部分をエコー検査もする。
         結果は来週分かる。ちょっと心配だ。この歳になると何か違和感が出ると癌が気になる。 
 

野のなななのか」高崎で

$
0
0
7月18日。映画「野のなななのか」大林宣彦監督。高崎の{シネマテークたかさきで」で上映されます。
       七月26日~八月8日まで。
       ★大林宣彦監督作品・品川徹主演『野のなななのか』7月26日から8月8日まで「シネマテークたかさき」で http:// takasak i-cc.jp /free/n ext高崎映画祭をたちあげた茂木正男が命をかけてつくってくれた映画館。高崎では、おかげで最先端の映画をいつもみることができます。感謝
 
★アップリンク渋谷でも七月中「野のなななのか」上映中。tel 03-6825-5503
 
7月23日。下腹部の鈍痛はCTスキャンと。エコー検査の結果。悪い病気はないとの二人の医師の診断。
        痛みは抗生剤飲んで治まっていたのだが、念のための検査でした。
        エコー検査の医師は私の経過の説明を聴いて、たぶん前立腺の炎症の痛みだったのでしょうと。
        安心しました

映画 大いなる沈黙へ

$
0
0
イメージ 1
 
7月19日岩波ホール。 映画「大いなる沈黙へ」を観る。
フランスのブルノ―ブル近くのフランスアルプス山脈の人里を離れたところに建つカトリック教会。
  グランド・シャルトルーズ修道院(男子の)の修道士たちのドキュメント映画。監督、脚本、撮影、編集
  はドイツ人のフィリップ・グレーニング。1984年に撮影を申し込み、許可がおりたのは16年後という。
  教会の撮影の条件は礼拝の聖歌以外には、音楽もナレーションも照明も使わず、監督一人で撮影を
  許可され、彼は6ヵ月間修道士と共に暮らし自然光だけで撮影をした。映像は冬から春にかけての
  風景とまた厳しい冬へと、修道士の日々の祈りや労働や日常の生活を細やかに無音の世界を静かに
  描いている。
  灰色の天空から舞い散る雪。静謐な雪景色の中に建つ美しい寺院の建物。かすかな風に揺らぐ白い布。
  聖堂に入る修道士たちが手を清める聖水(?)。個室で祈る修道士。春に備えて雪を取り除くひとりの
  老いた修道士。ひとり黙黙と暖房用の薪を斬る修道士。春の気配を感じさせる青い空と雲。全ての映像
  が、ふと永遠を思わせる時間であり空間なのです。後半ラストのほうで老いた盲目の修道士が語る見え
  ないことの幸せと死は私にとって喜び(?と言ったかと)です。  とても心に残る言葉であった。
  映像にさまざまなテロップが流れた。 
  <一切を退け私に従わぬものは弟子にはなれぬ><静けさ━その中で主がわれらの内に語る声を聞け>。  2時間49分。
  
7月22日。「金田一少年の事件簿」が始まりました。品川は三話・四話に出てきます。
 
8月6日。 15年間ほど服用していた睡眠剤から抜け出すことに成功。止めてから24日目。
       初めの10日間は寝つきに苦労しましたが、今は慣れて副作用のふらつきも改善しました。
       こんなことならもっと早く実行すればよかった。
 
8月11日。 秋田ロケでは、秋田弁が私の役のキャラクターにあまり似合わないと監督がおっしゃって
        殆んど標準語に近い喋りになりました
 
8月14日。 また秋田ロケに行ってまいります。能代でのロケです。

秋田ロケ

$
0
0
イメージ 1
 
★ドラママのロケで秋田に行って来ました。秋田空港で。
 
★8月21日。 田舎の旭川の姉が(86歳)膵臓がんで亡くなったと兄から電話。今年も「なななのか」の旭川
         の舞台挨拶に行った時姉の娘たちと記念写真を撮って元気だったのに。でもあの時すでに癌は
         膵臓を蝕んでいたのだろうね。NHKのドラマで沢山の台詞を抱えている私は顔を見に行くこと
         は出来ない。無念の気持ち姉に伝わるのだろうか。
 
★8月26日。 明日から長崎ロケに行ってまいります。好天だと良いのですがね。
          五泊くらいになるのかな?

長崎ロケ

$
0
0
★長崎から帰りました。
イメージ 1
昭和20年8月9日午前11時2分この近くに原爆が投下され地表は摂氏4000度の熱にさらされた。

目下NHkドラマ「だから荒野」の撮影が8月下旬から続いていて、毎日がセリフとの闘いのような日々です。長崎ロケが多いです
二度目の長崎ロケに行ってまいります。6泊ほどに、ながいです。

続長崎ロケ。

$
0
0
主演の鈴木京香さん。待ちの間に爆心地公園にて。
イメージ 1

10月2日。二度目の長崎から帰ってまいりました。
また6日から砧で撮影が始まります。
 
10月12日。8月27日に長崎に入り、東京との交互ロケが始まった「だから荒野」が今日の東京ロケを以て
        私はアップいたしました。主演の鈴木京香さんも明日でアップする予定です。
        長いロケでした。
ロケから解放されて久しぶりにジムへ行きました。運動はよいです、何も考えなくて良いからね😻。時には何も考えないでただ身体を動かしてみると、脳が休まるのを感じますね🐻
Viewing all 105 articles
Browse latest View live