★「野のなななのか」ロードショウ。6月13日(金)までとなりました。
有楽町スバル座。
★上野へ、「バルテュス展」を観に行く。少女の生命力に魅せられた一人の画家 を思う。
デフォルメされた少女たちの姿や顔は必ずしも美しさとかいうのとは違う美のカタチ,イ ロ、筆さばき。
こよなく猫ちゃんを愛した画家。勿論風景画もあるが、、、。
表現とは?、についての諸諸を考えさせられる。
6月15日夜。何故かいろいろあって疲れたな。昨夜は友人二人と久しぶりに会って
「なななのかに」ついていろいろ話してもらって、楽しかった。
飲み放題の店で僕は、カリフォルニヤワインばかり飲んでいてたが、そんなに飲め るもんじゃない。でも友人のお二人が愉快で感想も的を射た感想で楽しかった。
その後懐かしのゴールデン街の「ガルガンチュア」でも初対面の方と楽しい会話
ドイツ人の素敵な初老の男性の方に「ピナバウシュ」の舞踏団の写真を頂いたりし て、思いがけないプレゼントになった。早速部屋に飾ろうと、でも狭い部屋の何処に
飾ろうかと思ってあれこれしているうちに深夜になった。
明日は映画のロケで池袋へ
。台詞は一言も喋らないが。どう存在するかが問題 だ。
★僕は今、ふと考える。光男が一番頼りにして愛していたのは孫娘のカンナ
だったのかなと。健気なカンナの幸せを願わずにはいられないと。
6月11日。近くにジムが出来て、ちょいと暇があると歩いて7分。仕事が無いとすぐ行ける。
「野のなななのか」も13日で終映。友人のメールでは今日もたくさんお客が入っていた そうです。楽日には観に行きたかったが、ロケとかっちんこしてしまった
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アートとして何でも自由 「野のなななのか」大林宣彦監督、2作目エッセー映画
2014年5月23日16時30分
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- 大林宣彦監督の新作「野のなななのか」が公開中だ。北海道芦別市を舞台に、死んだ老医師を巡る家族の葛藤や戦争末期の悲話が語られる。2011年の前作「この空の花 長岡花火物語」で観客を驚かせた自在な語り口は、本作でも健在。「エッセーとして撮った。映画は自由な冒険」と語る。「なななのか」とは四十九日(七×七日)の意。92歳で死んだ元病院長・光男(品川徹)の葬式に、家族が集まる。そこへ不意に現れては消える謎の女・信子(常盤貴子)。やがて、彼女が光男の孫たちの母親代わりを務めていた過去や、光男との関係、そして、戦争末期にソ連軍が侵攻した樺太で光男が体験した悲劇が、明らかになる。回想と現在が交じり合い、生者と死者が同居し、新緑と雪景色が混在する。東日本大震災の発生時刻を物語にちりばめ、会話は戦争、炭鉱、町おこし、震災、原発へ飛ぶ。役者の口を借りた随想かドキュメンタリーのよう。前作よりはドラマの軸がはっきりしているが、奔放で融通無碍(むげ)な展開の2時間51分だ。「文字を使った表現だって小説、論文、日記、エッセーといろいろある。一つの物語にまとまった劇映画か、客観的なドキュメンタリーか、なんて枠は商業主義が勝手にはめたもの。アートとしてやれば、何でも自由です」と大林。作風の変化は、自身の大病と震災がきっかけという。「2010年、心臓発作で一度死んでよみがえった。そして翌年の3・11。もう従来の劇映画は撮れないと思った。1938年生まれの僕の中で、戦争、原爆、震災、原発、復興、すべてがつながった。それで、意識の流れをそのまま映像にしたエッセームービー2本が生まれたんです」反戦の思いと人間賛歌を込めた本作と「この空の花」に、「シネマゲルニカ」と名を付けた。
「野のなななのか」